北方文学「水滸伝」「楊令伝」の中国歴史観
中国は他民族国家。他民族国家といっても、人口の95%は漢民族で、残り5%の他民族国家です。しかし人口の1%でも、ヨーロッパの中堅国家(オランダやベルギー)と同じ規模という事実は、中国の歴史観にとって重要な要素です。中国の「少数」民族の中で、歴史上重要なのが、北方民族と言われる遊牧民族、騎馬民族です。中国では、北方民族王朝と漢民族王朝が交互に交代し合う歴史がありました。それは、NHK紅白歌合戦のように、昨年は白組が勝った、本年は紅組が勝つだろうという単純な入れ替わりではないのです。いっそ勝ち負けの判定など不可能と理解した方が良いでしょう。
さて、「水滸伝」等の北方謙三文学に歴史観(北方史観)があるとしたら、負けの判定があるのみです。広大な中国では、どこの領域までを支配すれば覇者なのか誰にも判らない。覇者は実は敗者で、勝者はいつも民衆なのかもしれません。「水滸伝」の反乱軍は梁山泊という本拠地を占領されて負けました。しかし、「宋」という国家が勝利したわけではありません。「宋」の北には、「遼」や「金」という北方民族国家が存在し、やがて中国の北半分を占領し、その後、別の北方民族国家「元」により滅ぼされます。梁山泊に集まる民衆は「梁山泊」という国家から「遼」「金」「元」に乗り換えたようなもの。要するに看板など何でも良く、民衆が公平で豊かになれば、それで良いのです。また北方民族国家の支配者は、1%未満の人口という圧倒的少数という弱点に「負け」、一時的に武力で支配しても、豊かな漢民族の農業社会に取り込まれ、北方民族文化(馬に乗る事)を忘れ、自然消滅してしまうのです。結局、勝者など存在せず、「滅びの物語」のみが語られます。
ならば、北方文学はアナーキー文学なのか?それは否です。北方謙三先生は大衆エンターテイメントと御自身の作品を呼びます。エンターテインには「希望を抱く」という意味があります。「民」の「意」というコンセンサスあるのです。事実と史実をハードボイルドに突き詰めて考えると、中国の歴史では、民意が変化を望み、様々な名前の国が滅んでも、国家の看板を変えて、再チャレンジしただけの事となります。つまり、北方史観は中国をリセット文化の国として捉えているのではないでしょうか?
「楊令伝」を読み始める前に、まず中国歴史観をリセットしましょう。「水滸伝」という古典の固定観念に捉われていると、「楊令伝」を理解できなくなってしまいそうです。「替天行道」の旗を継承した楊令は、何故悩み、何故荒んだか?「勝つ」事とは、何なのか?
北方謙三「楊令伝」、絶賛発売中。これを読んで、脳味噌リセット。
そうしなければ、10倍の民、20倍の活力を持つ中国に、いつか日本は取り込まれてしまうかもしれない。
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