| 財団法人 清和国際留学生奨学会 |
| 日本の近代化と韓国、中国の近代化との相違 | 上智大学経済学部 宋 永圭 (韓国・京畿道平沢市) ソン ヨンギュ |
| 今度のレポートとのテーマとして、横浜を中心として繰り広げられた日本の近代化を取り上げたいと思います。今回はちょっとアカデミックなテーマを選んでみました。この内容は去年学校の授業のため行われた実地調査の記憶を辿って書いてみたものです。 私が調査対象として横浜市開港記念会館と横浜開港資料館を選んだのは、以前から日本の開港期について深い関心を抱いていたからでした。その理由は、日本の開港は東アジアの他の国々に比べ、いくつかの特徴を持っていると思ったからです。第一に日本は開港を行う前には西欧の国々と対立的な関係においてありましたが、開港後には、中国、韓国とは違って、西欧の国々と対立的な関係よりは、協力的な関係を取るようになったことです。 また横浜の開港は、日本が東アジア以外の国々とも交流を深める機会を与え、日本が東アジアという限られた舞台を超え、世界の日本として浮上するきっかけになりました。それから横浜開港は、20世紀日本の近代化の始まりでもありました。横浜の開港により西欧の国々との貿易が始まり、日本には西欧のいろいろな技術が紹介されるようになったからです。 このような西欧の国々との交流は、日本に近代化のインセンティブを与えるようになり、将来日本の経済発展の引き金になりました。つまり横浜の開港は、日本の近代歴史の核心的な出来事であったと言えるのです。 横浜の開港は、日本の近代史においてとても大事な出来事でありました。それは日本の近代化に直結するような出来事であったからです。今度の調査で学べたのは、日本の開港ペリー艦隊による外圧的なものではありましたが、その後日本は西欧の国々との関係において能動的に対応していくことができたということでした。 このことは、同じ時期において他の東アジアの国々が西欧の国々に対してとった対策といくつかの点で異なっていました。まず韓国の場合はアメリカとフランスが武力で開国を要求したとき、朝鮮の朝廷は強く反発し、抵抗しつづけました。その結果、西欧からの要求を退かせることはできましたが、その後も鎖国政策だけを貫くようになり、西欧の発達した思想や技術を受け入れることはできなかったです。 |
また日本の近代化は、中国の近代化運動とも異なっていました。日本は開国後、江戸幕府を倒し、天皇を中心とした明治政府を立て、新体制への移動に成功しました。しかし中国の場合には清朝の体制をそのまま維持しながら近代化を図ったので、日本のような成功はできなかったです。つまり、日本のペリー提督による外圧的な開港は、天皇を中心とした新政府を樹立し、西欧の制度を受け入れたうえ近代化を進めた明治維新につながったのでありました。 それから開港の初期には、外国商品の輸入によって伝統的な農業経済が大きな打撃をうけるようになり、農民の暴動にもつながるようにもなりました。しかし長期的に開港は、ヨーロッパの技術や産業化を受け入れ、封建的な経済を乗り越え、日本経済が近代化するような良いきっかけになりました。 また開港は、明治政府が産業振興策を進めるように影響を及ぼしたとも考えられます。このような明治政府の産業振興策は、日本の資本主義の発達につながるようになりました。開国後、西欧の新しい技術の導入と商工業の奨励は、日本の経済の近代化にそのままつながりました。このような近代化の結果、紡績、造船業を中心に大規模の工場が建設され、産業革命が進むようになり、19世紀末には日本の資本主義は成熟な段階まで至ったのです。 清和財団の留学生の皆様には、おそらく日本の近代化について多少なり関心を抱いているでしょう。私も日本への留学を決めてから日本の近代化について強い関心を持ち始めました。現在日本が有する経済規模はアメリカに続いて世界2番目です。このような経済規模は100年をこえる革新の歴史のなかから生まれたものであります。しかし現在日本は深刻な不況に直面しており、その打開策として長期的な構造改革が求められています。ある意味で日本は開港期に匹敵する転換期に直面しているのかもしれません。 日本という国が開港期から現在にいたるまでどのように成長しつづけてきたのかを知ることはとても有益なことだと思います。留学生の皆様も自分の国の歴史と日本の歴史を比較してみればとても多くのことが学べると思います。 |
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