ニューロング  

ジュロンの出会い(シンガポール肥料ターミナル)
海外便り 2005年5月 メニューへ
第4回  ジュロン多目的ターミナル繁盛記(シンガポールバブルの時代)


OBT (ORIENTAL BULK TERMINAL PTE LTD) は1981年設立。ニューロング・シンガポールが納入した包装設備の計量機、袋口縫いミシンコンベア その後順調に稼動し続けた。

日本では昭和から平成に時代が変わる頃、シンガポールでもバブルの時代を迎えていた。そんな折、三菱商事化学肥料部から記内(きうち)康明氏(現ダイヤケミカル株式会社社長)がOBTに着任してきた。

当時OBTの機能は、アラスカの尿素を中心とした第三国の肥料をバルクでシンガポールに持って来て、袋詰め後、中国、ベトナム等、第三国へ輸出する、所謂スループット業務であった。業務開始当初は荷動きもよかったが、ベトナムからの代金の回収は容易ではなく、三菱商事としてその回収に大変苦労したと聞く。又時代の流れとしてスループット中継基地としてのシンガポールの重要性が低くなり、本社からもコストセンターからプロフィットセンターへの変換を迫られたので、自社倉庫を多目的フォーワーディングセンター(出荷ターミナル)として活用する事にした。扱う商品は多種多様。プラスチックレジンから亜鉛等の金属、食料品等あらゆる商品を動かして採算ベースに乗せた。

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食品の中でも、変り種は、味付け海苔。日本から進出したニコニコ海苔は、中国、韓国等から海苔の原料を輸入、加工して、タイを含む近隣諸国へ出荷していた。特筆すべきは、アメリカ米やオーストラリア米の袋詰め。これは、三菱グループ海外場所への厚生用に出荷するもの。2キロの袋詰めを行う。OBTは世界各国三菱グループの福利厚生に役立っていた事になる。途中からは他大手商社の海外場所向けも引き受けた。

シンガポールを中継とするスループットの量は段々減少傾向にあったので、三菱商事化学肥料部の立場でマレーシアや地元シンガポール向けの工業用尿素を見込みで買い(買見越)、倉庫に在庫し、袋詰めして出荷していた。この販売ルートは三菱商事シンガポール支店が絡んでいたものの、OBTの倉庫機能を利用したからこそ展開出来た商売といえる。またドリリング・マッドとしての工業用塩化カリ(ヨルダン産)も在庫、袋詰め販売していた。このドリリング・マッドとは、石油等の採掘現場で使用。掘削で出来た穴に埋める材料の事である。掘削で出来た穴をそのままにしておくと、地下水が噴出したり、穴が崩れたりするので、それを防ぐ為のもの。

本業の肥料ターミナルとしての売上げとその他の商品を扱う売上げの比率は50%ずつというところだった。初期投資は本社負担であったが、OBTとしての決算では、利益を出していた。売上高は、8百万から9百万シンガポールドル(S$)で、30−50万S$の利益があった。設立当初より、三菱商事の保証で法人金融機関から融資を受けていたが、地元政府系銀行DBS(DEVELOPMENT BANK OF SINGAPORE)からも、三菱商事の保証なしで百万S$から2百万S$のオーバードラフト枠(口座がマイナスになっても、一時的に融資が受けられる事)が認められていた程、現地での信用はあった。

OBT正社員は、記内氏、国際埠頭から出向してもらった現場責任者の栗原氏、経理担当の女性、それに運転手の4名。倉庫包装業務は、現地の荷役包装契約業者、CHUA CHUAN LEONG CONTRACTORS (PTE) LTD蔡泉隆承包装商(私人)有限公司(CCL)を下請けとしてオペレーションをすべて任せていた。栗原氏帰国後、後任の派遣が無かった為CCLから、一人引き抜いて、オペレーション担当のOBT社員とした。

当時シンガポール港は汎用的埠頭からコンテナ中心の機能的専門埠頭へと移行する段階にあった。ポートチャージが上がり収益率も減少。それに加え、外貨不足に悩む肥料の輸入国がコストダウンの為、大型船のバルクで肥料を直接輸入し、自国の港で袋詰め作業を行い、外貨を節約するようになった。逆に言うならば、マレーシア等の周辺国が財力をつけて来て、自国で袋詰め設備を設置できるようになって来た。そこで記内氏の在任中の課題として、収益が上がらなければ、OBTを閉鎖する事も視野に入れる事になった。何とかやって行けたのは、初期投資があり、倉庫も減価償却が進んでいており、何より自社倉庫を構えていた点だった。

しかし、半永久的に使えると思える倉庫も、肥料を扱うと建物が傷む。メンテナンスの費用もかさんで来る。メンテナンスの時期をずらすことで、期末利益は増減した。土地のリース契約は20年。2000年に契約が切れたので、OBTの幕を閉じる事になった。

記内氏は、歴代のOBT社長の中で一番駐在期間が長い。1988年から1993年の在任期間は、シンガポールのバブル時期と言ってもよく、日本のようなゴルフ場やマンション等の不動産投資が盛んに行われるようになった。三菱商事がパソコンの組み立て工場を設立(商品の性格上償却は1,2年)、バブル景気で人件費が高騰し、工場を閉鎖して今度はベトナムに移転してしまった。そんな現象も起きた。
その流れのなかにOBTもあった。

5年間の駐在員生活でのエピソード。1991年湾岸戦争が勃発。しかしシンガポールの船会社各社は、戦争を予見していたという。アメリカ軍が冷凍コンテナを多数チャーターしてクウェート、イラク近辺に送り始めた。食料医薬品等の兵站運搬ではない。戦争の結果、大量に生ずる遺体を本国へ搬送する為のコンテナだったらしい。実際には殆ど使われなかったようだが、アメリカという国、そのような準備の良さには、空恐ろしい気がする。

またある日、台湾へ輸出する冷凍マグロを新築の冷凍倉庫に保管していたところ、シンガポールでは珍しい停電となり、解凍されたマグロの匂いが、倉庫についてしまったと、クレームになってしまった。しかし、シンガポールでは、停電になる事はほとんどない。電気、水道等のユティリティは大変しっかりしていたので、日本人には暮らしやすい所だった。ましてOBTは保税地区にあり、警備に関しても万全。安心してアルミ・インゴット等の貴重品も保管できた。

またシンガポールは、観光資源にも他国にはない一味違った工夫を凝らしている。その代表的なものに、動物園 がある。ホワイトタイガー等の珍種も話題だが、檻がない開放型の園内は一日いて飽きない。象に乗せてくれたり、夜間に連結型のトラムに乗って見学するナイトサファリがあったり、猛獣の食事風景まで見られる。猛獣は堀で仕切られているので、ヒトが餌になる事はない。安全な動物は本当の放し飼い。ここでは蛇も安全な動物に入るらしい。動物たちを紹介すると、アライグマ、オラウータン、バーバリーシープ、ラマ、ニアラ、ライオンそしてヒト。ヒトは世界中の全ての種が観察できる。


OBT (ORIENTAL BULK TERMINAL PTE LTD)
1981年6月5日設立、シンガポール・ジュロン港保税地区
三菱商事出資、シンガポールドルで約3億円相当
保税地区内での肥料袋詰め出荷、年間15万トン
計量機、袋口縫いミシン4系列をニューロング・シンガポールから納入。




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