ニューロング  

ジュロンの出会い(シンガポール肥料ターミナル)
海外便り 2005年4月 メニューへ
第3回  ジュロン転進(変革期)


前列、伊地知氏。後列左はし、国際埠頭の松崎氏(OBTテクニカルディレクター)。後列右3人、三菱商事肥料部出張者とお客様。

1980年代後半、OBTは変革を迫られていた。伊地知(いじち)氏在任中(1985-1988)の最初の2年間は肥料ターミナルとして、OBT本来の機能を果たしていたが、最後の1年間は肥料ターミナルから発展して、他の商品を袋詰めする機能に変化して行った。この時期、シンガポール港自体も変わり目であった。マレーシアやインドネシア等の近隣諸国の港湾設備が整備されつつある時で、シンガポールでわざわざ貨物を積み替えて東南アジア諸国へ運ぶ必要性がなくなりつつあった。

OBTでも採算を取る上で、袋詰めレジンの荷捌きを始めた。JTC(Jurong Town Corporation, ジュロン公社)との契約はバルク肥料を荷揚げして袋詰めの作業をし、出荷するという事になっていたが、その契約を多少変更し、他の商品でも袋詰め作業できるよう交渉した。JTCの方も柔軟に対処してくれて、交渉の結果、全体の3分の1まで、肥料以外の商品を保管し、出荷しても良い事になった。

伊地知氏は午前中に三菱商事シンガポール、午後になるとOBTで業務した。商売になりそうな話を聞きつけると、OBTの倉庫で保管させてもらえるよう社内営業を展開した。この営業努力と伊地知氏の誰からも信頼される人柄があり、OBTは本業の肥料ターミナル以外の仕事も増え、採算ベースに乗せて、変革の波を無事乗り切った。

伊地知氏の人柄を知る上で、こんなエピソードがあった。シンガポール港自体も変革を迫られて、JTCはシンガポール港の機能を売り込むPRビデオを制作することになった。ところが、日本語のナレーションがあまり良くなかったので、JTCはその監修を伊地知氏に依頼、同氏はナレーターとしても一役買うことになったそうだ。このようにJTCとの関係も極めて良好。JTCとの交渉で肥料以外の商いにも転換できた功績は大きい。

倉庫業の仕事も様々。この当時OBTのテクニカルディレクターは松崎氏と栗原氏だったが、後半は業務の空きを埋めるために、JTC構内の遊休スペースを利用し “木工”の斡旋までやった。これはアメリカ向け家電のパレットや木枠、木箱等の梱包材を作る仕事。アメリカは梱包材が木材でなければ輸入出来ないので、倉庫内で輸出梱包をする。そんな仕事まで請け負ったのだ。

また、あるときはパプアニューギニアへ化学肥料を輸出した。マレーシア向けの肥料の商談で出張する時は、お客さんのゲストハウスに泊めてもらい、親しくなった。シンガポールは東京都23区より少し広いぐらいの島。駐在期間中、何より外に出られるというだけでうれしかったという。

OBTの対岸にある石油化学リファイナリー

しかしながら、シンガポールは世界に例を見ない程、整備された美しい都会であり、南海の楽園でもある。特にジュロン港は、島の南西側で、南に小島が散在する海がある。夕暮れ時ともなると夕日が水面に反射して黄金色に輝き、空はピンクからパープルに刻々変化するノスタルジックな光景となる。この光景は誰の心にでも故郷の原風景となって焼きつくらしい。

そんな光景に彩りを添えるのは、港独特の猥雑と喧騒。巨大なクレーンが歌舞伎の大見得を切ったかと思うと、今度は、パレット積みの荷を運ぶフォークリフトが剣の舞を舞う。まるで劇場のレビューでも見ているようで楽しい。

そんな中、オーストラリアから羊を積んだ船が到着する。羊を運搬する高速専用船なのに、船縁には何故かバッファロー・エキスプレスと書かれてあった。港から食肉処理場までの搬送にコストはかからない。羊たちはリーダーを先頭に整然と行進する。目的は教えられず羊たちが沈黙の行進をする様は、何となく滑稽であり哀れだった。国際都市シンガポールは色々な宗教の他民族国家。羊の肉は宗教上の問題をクリアできる優秀な食材だ。

伊地知氏夫人(前列左端)と
ごいっしょのOBTスタッフ

駐在員生活にとって一番頭の痛い問題は、子供の教育問題だ。以前は東南アジアの中で日本人が多く住んでいる街の順位は、バンコック、ジャカルタの順だったが、その当時、急にシンガポールに日本人が増えて、東南アジア中1位になった。子供をアメリカンスクールに通わせようとしたところ、急増した日本人の子供の受け入れが出来ないと(高校クラスの入学を)拒否されてしまったという。(代わってカナダに本部をおくインターナショナルスクールが受け入れてくれたそうだ)今は問題なく入学できるそうだが、駐在員生活とは、このように前任者の苦労はなかなか分かってもらえないのは、どの国であっても、同じようである。

尚、そのころ日本国内では、貿易より国内市場の充実拡大を図れとの動き(外圧?)が表面化し、商社では輸出入から国内市場への配置転換が盛んに行われた時期だった。伊地知氏も急遽鹿児島に帰国指示があったが、時に鹿児島は地縁第一という土地柄か、帰ってみると、三井物産、伊藤忠、各商社の支店長は殆どが鹿児島出身者に変更。皆で大笑いという場面もあった。

鹿児島も南に湾が開け、湾内に桜島があり、海の光は変化に富んで美しい。
ジュロンの海に似て、日は俄に昇り、黄昏に燃えてゆく。


OBT (ORIENTAL BULK TERMINAL PTE LTD)
1981年6月5日設立、シンガポール・ジュロン港保税地区
三菱商事出資、シンガポールドルで約3億円相当
保税地区内での肥料袋詰め出荷、年間15万トン
計量機、袋口縫いミシン4系列をニューロング・シンガポールから納入。




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